四の章  北颪
きたおろし (お侍 extra)
 



    外伝  昔がたり



        




 罰を受けての居残りとなった五の日の宵に、一体何があったやら。目覚めたときに同じ寝床に寝ていたことから、これって一体どうしたことかと驚いたものの、隊長殿の側は至って変わらず振る舞っておいで。七郎次への接し方や何やへも変化はなくの、特に態度が変わるでなし。それをもって、やっぱり夢だったのかと納得しかかっていて。

 「…。」

 たかがあの程度の酒に足元を掬われおってなどと、窘め半分に揶揄なされることもないままに。何事もなかったかのように通しておいでだったことへと絆
(ほだ)されて。七郎次の側でも違和感から少しずつ手を放してゆき、日々生じる新しい出来事へと記憶が書き換えられてゆくことに流されるまま、こだわるのはやめようと気を取り直しかけていた。付近の戦域は安穏としたままなのか、さしたる出撃もないままに日は過ぎゆき。若い隊士らが何とはなく落ち着きをなくす“十の日”がやって来て、さて…その宵の入り口で。

 「ん…。」

 総身をくるむは、ごわつきの強い軍服独特の香と、そこへ染みついた煙草の匂いと。口づけされただけで膝が砕けて、その場へそのままへたり込みそうになった七郎次であり。執務室のお隣りの仮眠室。屈強な腕を腰へと回され、ドアへと背中を押しつける格好で、自分より一回りは大きいだろう雄々しい肢体に抱きすくめられたままでいる。とはいえ、逃げ場を封じられた上で強引に唇を奪われた…訳ではなく、へたり込みそうになった身を おっとと素早く受け止めていただいたというのが正しい順番。七郎次と名を呼ばれ、はいと応じて振り返ったと同時に とんと肩の上、扉へ突くように置かれた手へ見とれたその隙をつき。迷いなく間合いを詰めて来られた勘兵衛に、それはあっさりと接吻されていて。

 「いかがした。どこぞで酒でも舐めて来やったか?」
 「いえ…。///////」

 先の晩、酒にあっさりと沈没したことを揶揄なさっておいでなのだろか。間近になって聞くお声は、深みあるその響きが直に鼓膜を震わせるような、そんな強さが増しての蠱惑に満ちており。まだまだ合服、生地の分厚い上着越しの接触なのにもかかわらず、その胸元や双腕がまといし筋骨の、隆とした充実ぶりが、こうしているとまざまざと伝わって来て…どうしてだろうか胸が落ち着かない。何度か腕を緩めては、相手がしゃんと立てるかどうかを確かめておいでで。そうなのだとやっと気づくまで、少々間が要った副官殿。おずおずと延ばした手で勘兵衛の二の腕や懐ろへと掴まり、今少し激しさが収まらぬ動悸へと息を詰めれば、

 “……あ。////////”

 大きな手がなだめるように背条を撫でてくださるのが暖かい。誰のせいでの混乱かも忘れるほどの、頼もしいまでの心地よさに、ついついその身をゆだねておれば、
「さて困った。始末書を出さすにも限度があるしな。」
「え?」
 嵌めごろしの窓、曇りガラスがぼんやり明るいのを背景に、意外と端正なラインをなさった横顔のシルエットが浮かぶ。ほんのしばしの間合い、何ごとかを案じておられた沈黙の後、

  「よしか? 誰にどう誘われても、お主は花楼へは行くな。」
  「はい?」
  「次は恐らく、十五の日だの。
   儂に呼ばれておると断り、ここへ来い。よいな?」

   ……… はい?






  ◇  ◇  ◇



 どちらの場合も無理強いはなさらずのこと、そして七郎次の側にしても、勘兵衛が上司だから嫌々ながらも我慢した…ということもなく。強いて言うなら、混乱したままのなし崩しというところだろうか。惚れたとも愛しいとも言われぬままということは、からかっておいでか。でもあの、だったらあの会話は…お主は花楼へは行くなという、言い聞かすようなお言いようの数々は一体どういう意味だろか。口づけという情けを下さった七郎次へのお言葉だということは、その身で女御に触れるな触れさすなということではなかろうか。
“う〜んっと。///////”
 でもあの、何と言いますか。いくらそっち方面へは蓄積がないとは言え、そろそろ何とはなく、察しというものが、うら若き副官殿の胸のどこかに ほわりと灯りもしており。
“これって…情をかけて下さる相手として、求めていただいたってことだろか?”
 今頃という反応のトロさも仕方がないほどの、彼もまた…実は筋金入りの朴念仁であったらしく。そんなまさか、いや、えっと。だって自分は男だし勘兵衛様も男だし…というところから始まって。胸もないし尻も平らなのに、俺なんかのどこが良いのかなぁ、とか。構っていただけるのは嬉しいけれど、どっちかというと戦さばたらきの方で認めてもらいたいのであって、とか。色々と、そりゃあもう色々と。じたばた考えて、ぐるぐると考えて。食事の間さえぼんやりしていたものだから、大好物のハムフライを先輩各位から狙われての横取りされそうになったことさえ何度かあって。…結果としては我に返っての死守したけれど。
(おいおい)
“う〜ん。”
 夜になっても寝る間も惜しみ、その分を検算途中の決裁書類へ突っ伏して昼間っから居眠るほど、そりゃあもうもう色々と、あっちからもこっちからも考え込んでみたものの、
「寝不足か? 七郎次。」
「あ・いえっ、大丈夫ですっ。/////////」
 どっちにしたって熱は関係ありませんてのに、鉢金の下、おでこに伏せられた大きな手のひらの、温みや堅さへとドキドキが止まらなくなる自分がいる。やはり昼間ひなかは、素知らぬお顔を通される勘兵衛様であり、別の人かと思えるくらいにさばけた接し方をして下さって。

  だけどでも。

 そのようなお振る舞いを退けても、慄きや嫌悪感が欠片ほども涌かない自分だと、はたと想いが至って…それでやっと気がついたこと。

 “そっか。////////”

 何でどうしてと狼狽しまくっていたその間も、勘兵衛様への敬慕や憧憬の熱は一向に下がらないままでいたのは誰だった? 不意な口づけなんて尋常ではないことをされ、ぎゅうと抱きすくめられて。なのに…いたわるように和んだ眼差しや精悍なお顔に見とれるばかりで、逃げ出そうともしなかった、そんなこと思いも拠らなかったのは誰だった? 確かに様子が妙な七郎次ではあったが、勘兵衛様との間に何かあったのだろかという方向で周囲が全く気づかなかったのもそのせいであり、

  『七郎次。』
  『はいっ。』

 名前しか呼んではおられぬのに、それが通りすがりの一声であっても、

 『お煙草の買い置きならば、大陸図のある壁の整理棚ですよ?』
 『刀鍛治の秀輝殿、今週一杯は手が離せぬそうです。』
 『近江殿でしたら習練場においでです。』
 『インナーのシャツはまとめ洗いの最中なので、
  済みませんが今日だけ同じのを着ていて下さいますか?』
 『いつも使いの筆は、
  昨夜お煙草と間違われて、穂先を燃やしてしまわれたではありませぬか。』
 『お耳ですか?
  いいえ、何か大事があってはいけませぬ。今すぐ拝見致しましょう。』

 そりゃあ即妙に何をお尋ねなのかを聞き分けてしまうわ、しかもその応じの内容がまた、どれほど行き届いてお世話をしているものか、日に日にレベルを上げてもいて恐ろしいほどだったりするわ…だったので、
『ほれ、負けず嫌いだから。』
『そうか、そうだったよな。』
 あれでよく通じると感心こそすれ、一体誰が、何か齟齬がある状況下の二人だと思おうか。上官上司への単なる服従とは言い難く、父や兄へだってこうまで懐かぬだろうというほどに慕わしい。お姿や言動に惚れ惚れし、認められたいと思ったし、お役に立ちたいとも思っている。さすがに接吻されたというのは方向が意外すぎ、いきなりのこととて混乱こそしたものの。想う心に変わりはないのだと、一番最後に自分で気がついて。

 “〜〜〜。////////”

 妙なこだわりという名の、箍というか歯止めというかが瓦解したその途端、こちらからこそ抱いてた想い、その気色が却ってあふれ出しての止まなくなったほどであり。

 “………ま・いっか。////////”

 愛くるしい仔犬のようだと、その温みや毛並みの手触りを愛でて下さっているようなもの。そうなのだろという思い切りをつけたれば、気も楽になり。その後も、戯れ半分のような接吻なり、総身をくるみ込まれるようにしての、供寝のみの同衾なりが何度か続いたが、もはや混乱することはなくなった。

 「腕が重うはないか?」
 「平気です。勘兵衛様こそ窮屈ではありませぬか?」
 「何の、暖かさのほうが勝るでな。」
 「〜〜〜。///////」

 何しろ、今の今まで刀技の研磨にしか関心がなかったも同然、この見映えは逆に目立ち過ぎてか、まだまだ青い年頃の女子が近寄るのは勇気が要ってのその結果、実は実は…嘘のようだが浮いた話にはとんと縁がなかったし。よって清童も同然の身であったがゆえ、子供扱いの延長のような“いい子いい子”という構われ方で十分に、ドキドキもしたし陶酔も出来た。勘兵衛様の側でも決して無理強いはなさらず、嫌なら逃げ出せば良いと言わんばかり、手や腕、肩などを掴んでまでして拘束なさるでなし。接吻するときには顎先さえ押さえぬよう触れなさるのが、お優しいのを通り越し、いっそこちらからこそ歯痒くなったほど。


  ―― そんな悩ましげな眼差しが、誘った格好になったものか。


 花の月の次は若葉青葉の月が来る。そんな月替わりの晩のこと。事務整理という職務とは別枠のもの、先日 別の部隊が鮮やかな戦勝を飾った戦いぶりを解析していただくという戦略講義を受けていた筈が。その途中から…どちらから寄り添うての切っ掛けとなったかは定かでないながら、明かりを落としたその中で、もつれ合うよに口づけて。勘兵衛の側から掻い込んだか、はたまた七郎次の側から甘えるようにもぐり込んだか。まだまだ柔軟な肢体をば、懐ろの内へと組み伏せたれば。のしかかる重みにこぼれた吐息の、忍ばせ切れなんだ切なさ甘さが、ついのこととて誰かさんの雄に火を灯す。さほど寒くもない時候だったので、上着はないまま伏した双方。掴めば骨格がすぐ判るほど、まだ肉薄な肩を抱え込みつつ、ベルト辺りへ手を延べて内着の裾を引っ張り出す勘兵衛であり。
“え?”
 日ごろははだけてなどいない、そんな場所の肌へと直に触れた、他人の手の感触は初めてで。その乾いた熱さに何とも言えずの感覚が燃え立ち…胸が震えた。脇腹から肋骨の縁までを、その瑞々しい柔らかさを愛でてのことだろう、何かしらを感じ取ろうとしてか、よしよしと押し撫でるというよりも確かめるようにそろりとゆっくり、撫でてくださる触れようが、
“…あ。////////”
 触れられているだけなのに、どうしてだろか、いつまでも熱い。肌がいつもより過敏になっていて、その下を行き来する血脈までもがかぁっと熱を帯びてゆく。こんなに鼓動が高まっているのは何故? 呼吸が速いのはどうして? 顔や手の先、足の先が、甘くしびれてじんとする。胸の底、腹の奥、何かがぎゅうぎゅうと締めつけられてて、そこへと集まっていた甘い熱が、まるで赤々と灼けて飴のようになった錬鉄のように、

   ―― ゆっくりゆっくり ぼ…ったんと。

 下腹に落ちたのを感じたその途端に。
「あ…っ。///////」
 笛の音のような短い悲鳴へ勘兵衛が顔を上げ、それ以上はないほど真っ赤になった七郎次が、今にも泣き出しそうな顔をするものだから、

  ―― 嫌であったか?

 辛かったなら済まなかったな、無理強いをしてしもうたと謝辞を告げれば。
「〜〜〜。///////」
 悲痛なお顔はそのままに、だが、ふりふりとかぶりを振る青年であり。侭の利く白い双手で、お顔を隠すと小さく嗚咽を洩らし始めたほどのこと。一体何がと、こぼれていた後れ毛を掻き上げてやれば、肩や胸元の震え方が…一律ではないことに気がついた勘兵衛であり。

 “………………あ。”

 ただただ怖くて、若しくは緊張が過ぎての、がたがたという震え方をしてはいない。がくがくとしてどこかぎこちない、激情に体がついて来ないという手合いのものだと気がついて。試しにそおと、背中へと腕を回してのその身を掬い上げてやっても、拒むような反射は出ない。ただ、
「…っ、あ。」
 まだ乱されてはない腰回りへと手が及ぶと、覆われていた顔から手が退き、身を起こそうとまでするからには…彼の身へと起こったことはただ一つしかないと、やっとのことで想いが至る。
「…恥ずかしゅうございます。」
 蚊の鳴くような声が示すもの。たったあれほどの構われようで、あっさりと達してしまった七郎次であったらしく。何と淫らな人性かと恥じてのことだろう、会わせるお顔がありませんと消え入りそうなお声で含羞む彼へ、
「気に病むな。」
 呆れるでなくの優しいお声がかけられる。そおと抱いてやった腕をゆるめて、苦しくないよう ゆとりを持たせると、すぐ傍らへと横たわり直しての添うてやり。かすかな嗚咽が鼻声となって、やがては静かな寝息に落ち着くまで。痛々しいまでの朱
(あけ)に染まったすべらかな頬、夜通し撫でていて下さった勘兵衛様であったとか。





        ◇



 その夜の出来事は、彼
(か)の青年がいかに無垢であったかを御主へ知らしめて。そこまでおぼこであったとはと驚かれたせいだろか、最後の最後まではなかなか手をおつけにならぬ勘兵衛様であり。されど、七郎次の側にそういう筋の知識がまるでなかったものだから、これでもう自分はこの素晴らしいお人の物なのだと、契りを交わした仲なのだと思い込んでも無理はなく。この方に求められているのだというだけでくらくらと酔える。嫌なら逃れていいとの構えの、相変わらずにゆるい抱擁は されど。蜜夜を越すごとに少しずつ、手管が増えての深まって。堪(こら)えずとも良いから声を出せとの思し召しばかりは聞けなんだけれど、まとったままな衣が減って、触れ合う肌が増してゆき。どんどん間近へ、近づいて来る、密になってゆく男の温みや匂いが愛おしく。抗う気など起きぬまま、搦め捕られる夜が来るのが待ち遠しくなり、そして。

 見事な桜が風に撒かれて凄艶にも散りゆきて、柔らかな緑を覗かせての葉桜へ、すっかり変わってしまった頃合いともなると。生きのいいばかりだった跳ねっ返りもまた、随分とその雰囲気を変えてしまっており。

 自分のその手が人命を屠ることとなる、真剣本気の戦さへ参戦した実体験が、新入隊士の人性への落ち着きを与えるのは良くあること。彼の場合はそこへと加え、御主への深い忠節が落ち着きを、そして寵愛の蜜が嫋やかな甘さを与えたことで、ますますとその蠱惑にも磨きがかかった格好となったらしい。よくも悪くもますますと、容姿も風情ももろともに、人の眸を引く存在となってしまったものだから。当人と接する機会の少ない者ほどいよいよと、陰で“色香で上官に取り入ったキツネ”だの“男娼よ、男めかけよ”などと言っての罵ることも多々あれど。戦闘時の刀ばたらきの鮮烈な実績がそれらを見事に黙らせる。

  ―― 北軍
(キタ)の白夜叉が、金毛白面の狛(こま)を飼うた

 御主に比すればちょっぴり線が細いところが、却って婀娜な妖異のようだと謳われるほど。眉目秀麗、端正に整ったその顔の、眉のひとつも動かさぬまま。朱棹の槍を自在に操り、対峙する敵兵を冷静にも逃さず薙ぎ払う、その腕の冴えの伸びようの凄まじさよ。時に石突きの側で地を衝いてはひらりと宙を翔け、その伸びやかな身を軽やかに舞わせもする柔軟な戦いぶりは、勇猛にして剛とされる勘兵衛の力強い太刀さばきとの鮮やかな対比もあってのこと、さして時をおかずして“疾さでは北軍随一”と、敵味方の別なく恐れられることとなり。ひととおりではない斬艦刀の操縦も、並でない上達ぶりをめきめきと示し、斬り込み部隊のその先鋒、隊長殿を乗せての足代わりを巧みにこなせるまでとなるのに、さしたる時間は必要なくて。そんなこんなな実力もあったが、それより何より。直に接する同じ部隊の者らには、彼の本質がすぐにも知れた。多少は駆け引きだのを使わぬでもないものの、どれも全ては皆で生き延びるための方策なのだと、聡明な者ならすぐにも判る。むしろその身を削ってばかりの損な人性には、勘兵衛様を慕う者同士という共鳴もあってか、何をか語らずとも判り合えてしまえたから、不思議といや不思議な話。ずっと後の時期、構成する顔触れがすっかりと入れ替わってしまった隊においても、最初は噂が先んじてか根も葉もない誤解も生じるものの、すぐにも瓦解し結束が固く結ばれてしまう彼らであったとか。

 『おや、しまった。私はしたり顔で厭味な奴というのが似合いですのに。』

 大人になった副官殿、そんな苦笑をよくこぼしていたものだったが、それはずっと後年のお話だったりし。そういった、酸いも甘いもよくよく噛み分けた、懐ろの尋深いよく出来た副官殿となるまでには、もうちょっとほど…困った波乱が待っていたりもしたのである。




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